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武道の錯覚? 強くない人ほど強く見える?

公開日: : 実戦護身論

 

私が武道や格闘技に関わる人を見てきて改めて感じてきたのは、

「強い」事と「強く見えること」事はまったく別次元のものだという事です。

 

今回はそれについて書いてみます。

 

【目次】

1、研究し続ける強者は謙虚である

2、演技力で強そうに見せようとする人

3、命懸けの闘いでは両方必要な場合も

 

 

 

1、研究し続ける強者は謙虚である

本当に強い人は余裕を持っているので自分を強そうに見せようとしたりする事はありません。

或いは、ただ相手に不快感を与えないようにと、人間の常識的な態度として謙虚である場合もありますが、ただ単純にそれだけの問題ではありません。

 

武道を真剣に練習する人は、より高い目標を持ち、研究をし続けます。

 

例えば、小さな地方の大会で優勝出来たとして、それで満足してしまえば、その人の成長はとまります。

その小さな実績をひけらかして、自分が強いと思い込み、それを表現したがる人もいます。

その自信が、素人には強さに見えたりするのです。

大海に出なければ、井の中の蛙でいられるのです。

 

しかし全国クラスの大会で優勝しようと思えば、更なる努力と研究が必要になるものです。

現状に満足する事なく、謙虚に研究を続けなければ、更に高い記録を出す事は出来ません。

 

それはより細かい技術の研究、肉体トレーニング法、食事の栄養の取り方等、

あらゆる面で常に試行錯誤していかなければ、自分のレベルを上げる事は出来ません。

 

競技を真剣にする人は、24時間その競技の事だけを考えたりする人もいます。

常に研究を続ける事で、更なる進化が期待出来るのです。

見た目を取り繕う考えがないので、むしろ弱く見える場合もあります。

 

競技は実力勝負の世界であるため、いくら自分を強そうに見せても、試合に勝つ事は出来ないのです。

勝敗を決する競技の場にいる人は、客観的に自分の実力が評価されるため、強そうに見せるよりも、自分の実力を上げていくしかないのです。

 

 

 

2、演技力で強そうに見せようとする人

逆にそういう厳しい勝負の世界に身を置かない武道家等は、演技力、平たく言えばハッタリで自分を強く見せようとする人がいます。

 

形稽古ばかりをする武術等に多いのですが、そういう人は口で闘おうとします。

その技術が正しいか、正しくないか等と、理屈で自己主張すれば、自分が強いと思い込む人もいます。

 

競技者とは違い、客観的に実力を判断される場がないので、自己主張し、相手を否定し、自分を強そうに見せる事で、評価を得ようとするのです。

 

 

空手の世界では、組手が競技化される事により、組手競技の価値も高いのですが、その一方で、形も競技化して絶対化する事で、微妙な立ち位置があったりします。

 

組手で真面目な指導者は、

「組手の指導という物は、如何に選手の能力を引き出すかであって、手とり足とり教えて自分の形にはめ込む事ではない」

と考えます。

 

人には個人差があり、万人に合う技術があるわけではないのです。

自分の技術や戦略を絶対化せず、その選手自身にあったスタイルを自分で研究させる余地を与えます。

 

半分くらいまでは自分で教えても、後の半分くらいは選手自身で考えさせたり、その様子を見守り、方向性がズレた場合などはそれを指摘して軌道修正するようにして、その選手が最大限に成長出来るように配慮するのです。

 

(しかしこのために、選手自身が、自分は誰にも教えてもらわず、自分の考えだけで強くなったんだ、自分の考えだけで世の中を渡っていけばいい、と勘違いして傲慢になってしまうケースもあるので注意も必要です。

そういう意味では、武道で形が重視される理由の一つになる事も分からなくはないのですが……)

 

 

それに比べて、形の場合ですが、

正直言って、形の優劣は、明らかなレベル差がある場合を除いては、判断が難しい物です。

(そのため、不正な判定が起こりやすいのも実情です…)

 

固定した物を指導するので、指導者が絶対となり、いつまでも生徒をうつわにはめる事が出来るのです。

指導者は常に自分が絶対に正しいと主張する事が出来、生徒はそれに従わなければなりません。

これにより古くからの武道のイメージに合うような、強い先生、従順な弟子、という厳しい上下関係も演出され、何も知らない素人は、こういう世界に感心したりもするのです。

 

しかしこれは、指導者が自分の立場を保ちたいだけのエゴである場合があるので、注意が要ります。

 

自分を強そうに見せて、自分の立場を優先しようとする指導者なのか、

そんな事に拘らず、生徒の成長を最優先している指導者なのか、

それを見極める事も必要です。

 

 

 

 

3、命懸けの闘いでは両方必要な場合も

それとはまた別に、プロレスラーは実際に強いかどうかよりも、強く見えるかの方が重要だ、と言った人がいましたが、これは演劇としてのショービジネスの性格による物です。

 

ちょっと奇異な例では、極道の世界も同様です。

演技力で、一瞬にして正気から狂気へと切り替える。

如何に自分の迫力を演出して、ハッタリで優位に立とうとするかが重要であったりします。

 

 

基本的に、物事の本質、中身、実力を求める人はハッタリを嫌います。

 

ですが、時にはハッタリが必要になる事も否定出来ません。

商売で営業をするには、ハッタリも重要になりますが、

命懸けの実戦の必要があったかつての武士たちは、実力だけではなく、そういうハッタリも必要となりました。

 

かつての武士は負けが死に繋がるために、必死で稽古していました。

しかし闘う相手はいつも自分よりも弱いとは限りません。

 

相手が自分よりも強い時はどうするのか?

その時は簡単に殺されてしまうのか?

 

そうはいきません。絶対に死んではいけません。

生き残るためには、相手が自分より強くても勝たなければいけないのです。

 

自分の未熟な技術を覆い隠し、更に相手の戦意を挫く方法はないのか?

その時に求められたのが、気勢、気力、気迫であるのです。

剣道を始めとする伝統的な日本武道で気合が重要視されるのはこのためです。

 

「弱い犬ほどよく吠える」と言われますが、これは動物の自然な防衛本能です。

ハッタリは、玄人相手には逆に足元を見られるのですが、素人相手には一定の効果があるのです。

 

殺される恐怖心と戦ってきた武士たちは、

強くなるだけでなく、いかに自分を強そうにみせるか、それも重要な課題だったのです。

 

 

このような命懸けの時代があった事も理解出来るのですが、

現代ではもはや、さほどの意味がないのも実情です。

 

 

「強く見える」事と、本当に「強い」事は別として考えるべきです。

 

 

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    武道と旅と昼寝が好きな怠け者。

    今は武道もほとんど見るだけ。

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    一応、元空手五段、合気道三段、空道二段、柔道初段、スポーツチャンバラ四段

    武術太極拳 アジア選手権・世界選手権 日本代表

     

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