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スポーツ精神力と武士道の差は命懸けにある?

公開日: : 最終更新日:2019/07/03 精神論

 

 

スポーツの世界で、日本はかつて根性主義でした。

寒稽古や暑中稽古、真夏の炎天下の運動でも「水を飲むな」

と厳しく制限されたものです。

 

千本ノックや千本レシーブ等、極限まで追い込むような練習をしたりしていました。

 

なので外国人は日本のスポーツの練習を見て不思議に思ったそうです。

スポーツは本来、楽しんでする物なのに、日本は悲壮感に満ち溢れている。

 

この違いは本来、日本の唯一の体育であった武道に関係しているのでしょう。

 

近代になって西洋のスポーツが日本で普及しても、しばらくは武道の稽古の感覚で、

過酷な訓練を強いられていました。

 

後にその悪習は改められましたが、

2つの世界は異なるものであり、区別をつけるべきだと思います。

 

1、スポーツ競技は合理的に

2、本来の武道は非合理精神

 

それぞれについて書いてみます。

 

 

 

 

1、スポーツ競技は合理的に

 

日本のスポーツ指導も近年になって改められ、科学的・合理的トレーニングが研究され、スポーツ競技の記録も向上しました。

 

古い根性主義では試合に勝てないからです。

 

もちろん全て勝てなかったわけではなく、勝てた場合もそこそこありました。

 

1964年の東京オリンピックで金メダルをとった日本の女子バレーボールチームは「東洋の魔女」と呼ばれました。

 

東洋の魔女の練習というのは、それこそスポーツなんかじゃない、

千本レシーブ等、信じられないような肉体を極限まで追い込んでの過酷な訓練を積んでいました。

 

そして当時の状況では、絶対勝てるはずがないと思われていた日本が金メダルを取ったのです。

そして「東洋の魔女」と呼ばれるようになりました。

 

このような話は感動を覚えるものですが、やはりそれを美談として伝えるのは必ずしもは良くないと思います。

 

スポーツでも精神力はある程度は必要であり、メンタルトレーニング等も研究されていくべきですが、それは次元が違う物です。

 

現代では、古い精神主義は害とみなされます。

 

一昔前までは運動中に「水を飲むな」と制限された物ですが、その後は、脱水症状になるのが危険だからと、水を飲む事を推奨させるようになりました。

 

現在ではこれが当たり前になっているのですが、隔世の感です。

 

 

それでも希にかつての根性主義を懐かしんでか、時代に逆行するような指導者もいます。

 

柔道で篠原信一が監督になった時は、徹底した長時間練習と精神論で追い込むだけで、選手との信頼関係も得られず、ロンドンオリンピックでは惨敗を喫しました。

 

その後、井上康生が監督になり、改めて独自の合理的トレーニングにより、選手のレベルも上がり、リオデジャネイロオリンピックでは、好成績を収めました。

 

やはりスポーツにおいては、科学的・合理的トレーニングを主軸におくべきだと思います。

 

 

 

 

2、本来の武道は非合理精神

 

だからと言って以前の精神主義が愚かな物だっとというわけではありません。

 

では何故、かつての武士や武道家は非合理な訓練を行ったのでしょうか?

 

かつての武道家は寒稽古に暑中稽古、肉体と精神を極限まで追い込む訓練をしていました。

それは命の懸かった真剣勝負では、肉体よりも精神力で決まる事が多いからです。

 

 

例えば、幅が30cmもある平均台の上を渡れと言われたら、誰でも渡れると思います。

ところがその平均台が、地上50m以上もあるビルとビルの上に掛かっていたら、どうでしょう?

 

おそらくほとんどの人の足がすくんで、とても渡れないと思います。

 

 

武道も同様です。

 

剣道は竹刀と防具の開発により安全に稽古が出来るようになり、技術が発達しました。

しかし竹刀の勝負が強くなっても、真剣の勝負は別物です。

 

真剣での斬り合いになったら、ほとんど皆、恐怖感にとらわれ、へっぴり腰になり、

普段発揮している技術が発揮出来なくなります。

 

 

希にその逆の例もあります。例えば新選組の近藤勇です。

 

近藤勇は道場での竹刀稽古では強くはなく、むしろ弱い方でした。

3本勝負をすれば、2本は取られる程度だったそうです。

 

ところが真剣を持っての実戦になると恐ろしく強さを発揮したのです。

近藤勇の胆力は、他の者の技術をはるかに上回っていたのでしょう。

 

 

江戸時代中期に山本常朝によって書かれた「葉隠」という書にある

「武士道と云うは死ぬ事と見つけたり」

というのは有名な言葉ですが、武士は捨て身の精神を持っていました。

(或いは持つように努力していました(^。^ )

 

武士道について語りだすと、人それぞれの解釈により複雑になるので割愛しますが、

上杉謙信の言葉でも

「生を必(ひっ)するものは死し、死を必するものは生く」

というのがあります。

 

つまり戦場では、生きたいと未練を持っている物は死に、死を覚悟している者が生き延びるという事です。

 

 

己の存在、生死がかかった極限の場面では、もはや合理的な技術は役に立たず、死んでも戦うという非合理精神を持った物が生き残る、という考え方です。

 

生死がかかった場面を通らなければいけない武士にとっては、技術はむしろ二の次であり、

禅宗と結びついた高度な精神の世界に向かったのです。

 

 

 

 

現在でも一部の空手家が慣習的に真冬に滝浴びを行ったり、1人が100人の相手と連続の組手をしたりしています。

 

スポーツ的に見れば、肉体を弱めるだけで意味のない行為なのですが、

これは昔ながらの精神力を鍛えるための行為です。

死ぬかもしれない、という最悪の状況でも闘い抜く精神を養うものです。

 

ですが、その事を忘れている人も多いのです。

 

命がかかっていないスポーツ武道では肉体的要素(技術・力)だけによりほとんど勝負が決まってしまいます。

 

何故、現代の武道家や格闘家が高度な精神の境地に行けないのかと言えば、

それは命懸けでない勝負をしているから、という事になります。

 

 

もちろんこれからの時代に命懸けの精神は必要ないのかもしれませんが、

かつての武士達は高度な精神文化を作り上げていた事を理解する必要はあると思います。

 

 

 

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